1980年代、私はインドで修業をしておりました。
リシケシュという町のアシュラムで新しいヨガを研究しつつ、
伝統的なクリヤ・ヨガの行法をあるスワミの弟子になり学んでいました。
ある日、何の気なしに散歩していると、
インディアン・ミュージック・アカデミーという看板が目に入りました。
当然私の心は動きました。
ところが捜しても探してもそれらしい建物は見つかりませんでした。
仕方がないので地元の人に看板を指さしてどこだと聞いてみました。
親切なインド人が私をこれまで見たこともないような貧しい壊れかけた家に連れて行きました。
庭では二人の青年がタブラ( タブラとバヤ )を叩いていて、
それを父親らしき人物が目をつむって聴いていました。
私も地べたに座り、しばらくその演奏に聴き入っておりました。
ミュージシャンの耳を持つ私にはそれはまるで武道の真剣勝負の試合のような感じがしました。
ニューヨークにスター・カフェというジャズクラブがあったんですけど。
そこには毎晩、世界中からニューヨークに武者修行に来ているミュージシャンが集まるんです。
誰が演奏するかも決まっていないし何を演奏するかも決まっていないんです。
自信があれば、自分で勝手に楽器を演奏して良いんです。
そういう意味では自分の楽器を持ち運べる管楽器奏者が一番多かったのですが。
そこで凄いなと思ったのはいきなり曲が始まり、
それがはじめに演奏をはじめた人間が一番難しいキーで演奏をはじめるんですよ。
例えばサテン・ドールなんかはオリジナル・キーはCですから小学生でも弾けますが、
それを得体の知れないポリ・モードなどではじめられると、
一体自分が何の曲を弾いているのかも分からなくて、取り残されたままなのですよ。
その時の劣等感には実に寂しいものがあります。
何か、その時そんな記憶が浮かんだんですね。
ところで、話を戻して、その武道の真剣勝負のようなタブラの演奏が終わると、
身振りとほんのちょっとだけ単語を知ってるヒンドゥー語でタブラが習いたいと言ってみました。
もちろん話はOKでした。
お金の交渉がすんで大分ボラれたなと思いつつ、
早速レッスンにはいるといって、
父親は大きな声で「サンギータ」と叫びました。
しばらくするとボロ家の中からニコニコしながら5歳ぐらいの少女が現れました。
こりゃ馬鹿にされているのか (▼O▼メ) ナンヤコラーー!!
少女がタブラの前に座ってお祈りをすませた後、叩きはじめて私の背筋に電撃が走りました。
ミュージシャンの耳から表現すれば「天才の芸術」。
こうして私は5歳の少女の弟子になりました。
5歳の子供がどれほどものや技術を言葉もなしで上手に教えるか御存じですか。
私は、たった5歳の女の子からインドの古典音楽の奥の深さを学びました。
先ず、タブラは一つのリズムのパターンが一つの音のつながりに対応し、
しかもそれに言葉がついております。
分かりやすく言うと「ドレミ」という音列に対して
右手のタブラと左手のバヤで一つのリズムパターンを演奏し、
それに「ティーティータットン」という歌詞が付いているのです。
インドの古典音楽にはラーガというのがあって全部で1万4千4百節があるそうです。
ラーガの意味は「神の歌」です。
この世、あの世にある音楽の全ての旋律を含んでいると言われております。
一番長いラーガは詠唱するだけで3日間かかるそうです。
ラーガはヨーガの一部とされています。
神との交流の空間を創造するそうです。
当然、
ラーガが詠唱される音楽の共振場を作るために
タブラやシタールなどのインド特有の楽器を修業するのです。
日本でも虚無僧が尺八を吹いて修業するのは私的にはとてもヨーガ的に捉えられます。
先ず、長い息が必要なので呼吸法( プラーナヤマ )が絶対条件になります。
次に音に集中することによりダーラナーの訓練をしています。
呼吸法( プラーナヤマ )と書きましたが、
あっさり呼吸法かと通り過ぎると意味を全く分かっていないことになります。
プラーナヤマは、プラーナという言葉とアーヤーマという言葉の合成語です。
プラーナの正確な意味は、宇宙を構成する根本的要素です。
そして、アーヤーマは制御するという意味です。
すなわち、プラーナヤマとは宇宙を構成する根本的要素を制御するという意味になります。
空中浮揚も
クンダリーニの覚醒も全てプラーナヤマを修業した結果のご褒美として神が与えてくれるもの、
言い換えれば自分自身がだんだん神に近くなってきているという道しるべのようなものです。
サンギータと私はどんどん仲良しになりレッスンの後は毎日肩車してお散歩しました。
忘れられない思い出が一つあります。
ある日、サンギータが私の袖を引っ張ってあるところに連れて行こうとするのです。
私はサンギータが引っ張るままついて行きました。
そこは大きな病院でした。
階段で三階に上がった瞬間、私は絶句しました。
廊下の床一面に今朝摘まれてきたばかりの花が敷き詰められてあったのです。
そしてある部屋の前に花は盛り上がるように置かれ香が焚かれてありました。
サンギータはその部屋の前で礼拝しお祈りをはじめのした。
驚くべきことに廊下を通る医師、看護婦、患者の全てがその部屋の前で礼拝するのです。
呆気にとられているとサンギータが私の袖を引っ張って部屋の中に誘い入れました。
小さなベッドに向こう向きで小さい老人が咳をしながら苦しそうにしていました。
伝説のタブラ奏者、アラ・ラカ・カーンその人でした。
シュリ・シュリ・ラビ・シャンカールと並んで、インドで最も偉大な芸術家です。
サンギータが棚から古い新聞記事を見せてくれました。
英字新聞です。
ちゃんとメモしてあります。
Saint God's love and wisdom that catches lightning in a bottle
直訳すると、奇跡を起こす神の愛と叡知の聖者。
記事の内容は、アラ・ラカ・カーンが演奏すると奇跡が起こり、
その演奏を聴いた人の全ての病が治り、
盲目の人の目が開き、
耳の聞こえない者の耳が聞こえるようになり、
歩けない者の足が歩けるようになったと書かれてありました。
サンギータが
また私の袖を引っ張ってそのご老人の背中に耳をつけるように身振りで私に伝えました。
失礼とは思いつつも、
赤ちゃんのような笑顔でニコニコしているご老人の背中にそっと耳をつけてみました。
背中からはタブラの演奏の音が響いておりました。
奇跡は沢山見てきましたし、体験もして参りました。
しかし、音楽の道が神の道に通じていたことは知りませんでした。
自分の音楽に対する姿勢を反省すると共に、ますますヨーガの修業に打ち込むようになりました。
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