★ 今週の名著 ★
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■ 気の力 - 場の空気を読む・流れを変える
齋藤孝著 文藝春秋
気の力―場の空気を読む・流れを変える (単行本)
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気がきく人のいる空間には、
つねにいい空気が流れている。
空気を読んで周りに気配りができ、
気を回して動ける
そんな「気のセンス」のいい人は、
組織やチームのなかで高く評価される。
ビジネスでも教育の現場でも、
できる人は例外なく気働きができる。
社会生活を営んでいるすべての人に
必要不可欠な素養、
それが「気のセンス」だ。
とくに日本の社会では、
気がきく人がことのほか愛される。
日本には、人と人との『あいだ』に流れる空気を大切にし、
その機微を敏感に読み取ってきた
独自の「気」の文化が根付いているからだ。
気がきく、気配り、気遣い、気だて、気働き、気を回す、・・・
気の用法一つとっても、非常に豊かなバリエーションがある。
関係性を重視した日本語の構造や表現は、
呼吸を基盤として身体文化とセットになって
私たちの「気」の感性を豊かにはぐくんできた。
そこで培われてきた気の力は、いまや急速に失われつつある。
▼ 場を読む
気のセンスとは、
場の空気を的確に読んで
働きかけていく力のことだ。
表情からかすかな変化を感じ取る力が、
空気を読む力である。
言い換えれば、場を読む力とは、
「兆し」をとらえる力だ。
誰かの表情に否定的な兆しを感じ取れれば、
早めに手を打つことができる。
まさに「全身の毛穴を開く」感覚で臨むことで、
場の流れに対するセンスは身についてくる。
▼ 気のセンス
「気」とは、身体から発せられているエネルギーだ。
それが混じり合って
場の空気というものはつくり出されている。
自分の内側に流れているものだけではない、
外側の人との『あいだ』を流れているものでもある。
私たちのからだは、
息を通して内と外が混じり合っている。
自分の内側の世界と外側の世界を峻別しないで、
そこに流れているものを「気」だと考える。
外側に流れているものを
内側の身体感覚でとらえるのだ。
場に流れる気をつかむ感度にすぐれ、
場の気の流れに的確に働きかけることができる、
これが気のセンスのいい人だ。
つまり、気のセンスとは、
「場の空気の感知力」と「場の流れを変える力」の
二つの要素からなる。
気のセンスは、誰でも容易に磨くことができる。
なぜなら、気のセンスは
声や呼吸、背中の感覚といった、
誰でもがもっている身体感覚と結びついた、
日本人にとってなじみの深い文化だからだ。
▼ 気の感性の衰退
もともと日本人は、人と人との『あいだ』に流れるものを
つかもうとする感性が発達していた民族である。
しかし生活様式が欧米化し、
生活が合理化されていくにしたがって、
連綿と培われてきた日本古来の伝統は、
次々と崩されていく。
「気」の文化を根底で支えていたのは、
腰肚文化で培われていた身体感覚である。
だが戦後教育において、
武道や暗誦・朗読、四股、坐禅、呼吸法といった、
それまで脈々と続いていた日本人の身体文化は切り捨てられ、
生活環境の激変とともに、「気」に関する感性もまた
急速に衰退していった。
▼ 「気」と息の文化
「気」の根幹にあるのは、息の文化である。
息はからだの内側と外側をつなぐものだ。
古代から、「気」と「息」は
非常に密接なものとして考えられてきた。
深くゆるやかに丹田呼吸を行い、
息を丁寧に感じてみると、
しだいに自意識が解き放たれ、
内と外が混じり合うような感覚になってくる。
自分が呼吸をしているという感覚が消え、
周りに「呼吸させられている」と感じるほどに、
世界と溶け合ったような一体感が訪れる。
息を吐ききって生まれたスペースに、
自然とまた息が満ちてくる。
この「積極的受動性」の感覚が、
禅の精神性の境地であり、
日本人の宗教性の根底にあった。
呼吸を通して、内と外は溶け合い、
世界と一体化する。
「積極的受動性」という心身のスタイルが、
日本人の「気」の文化の核心にはある。
▼ 気の流れを変える
日本語にはさまざまな受身表現が数多くあるが、
文脈のなかで柔軟に関係性を読み解き、
『あいだ』に流れる機微を表現してきた。
合気道、太極拳、柔道でも、基本にあるのは
いかに相手を「受ける」かである。
禅の修行においては、
呼吸を通して内と外が混じり合う一体感、
積極的受動性を身につけることを目指した。
受動的な感覚のなかで
物事を柔らかく受けとめてきた日本人の感性は、
今度は積極的に「いかに場に働きかけるか」
「流れを変えるか」といったときも、
そのまま生きてくる。
「気」はいかようにも、流れを変えられるものである。
場が停滞しているとき、「気が合わない」とき、
「気」のありようを変えれば、
関係性も変えられる。
気のセンスを磨いて、そこに積極的な流れをつくる。
気の好循環は、生きる喜びの根源だ。
心地よい気の交換は、
十全に生きること、そのものでもある。
▼ 今ここにある気を感じる
「気」は、古代インド、古代中国をはじめとして、
宇宙の原理としてとらえられてきた。
そうした「原理としての気」以上に、
日本人が日常生活のなかで
これまで当たり前のように使いこなしてきた
「文化としての気」の日常用法を
細やかに築き上げてきたところに、
私たちはもっと誇りを持っていいと思う。
まさに「なにげなく」行ってしまうところに、
「気」の技の妙味はある。
超絶的なパワーを求めるのではなく、
「今ここにある気」を感じてみよう。
日常のなかで「気」の技を感じ磨いてゆくことこそ、
「気の力」復活のはじめの一歩であり、
目指すべき目的である。
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■ 著者紹介 ■
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齋藤 孝(さいとう たかし)
東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。
明治大学文学部助教授を経て、現在明治大学文学部教授。
2001年、『身体感覚を取り戻す』で新潮学芸賞を受賞、教育スタイル論
の 提唱者として知られ『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思
社)が、150万部を超えるベストセラーとなり、同著で毎日出版文化賞特
別賞受賞。その後、専門の教育学、日本語教育学などの書籍からビジネ
ス書、コミュニケーションを基礎とした関連書籍を多数執筆。
専門は教育学。教育というものを広くとらえるために、日本語や心技体、
コミュニケーション、健康法など、身体を基盤とした教育を基本として
いる。また、三色ボールペンを用いた読書・情報活用法や、読書文化の
重要性なども提唱している。その教育論は、本来の専門領域である教員
養成以外にもビジネス現場や日常生活など、広く万人にも通じるように
提唱されている。齋藤の提唱する教育論やビジネス論・身体論などは、
総合して「齋藤メソッド」と呼ばれている。また、小学生向けの身体論・
発声論を指導する学習塾を主催しており、こちらも「齋藤メソッド」と
いう名を冠している。
テレビ番組では、日本テレビ『世界一受けたい授業』に講師として出演
の他、NHK教育テレビ『にほんごであそぼ』、フジテレビ『ガチャガチャ
ポン!』の企画・監修をつとめた。またサントリーの清涼飲料水『DAKARA』
のCMに出演、独自の体操法を披露した。
2005年にはベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞。
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● この本の評価 ●
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■ 気の力 - 場の空気を読む・流れを変える
気の力―場の空気を読む・流れを変える (単行本)
■ 齋藤孝著
■ 文藝春秋
■ 1,365円
★★★☆☆ 「この本の難度」
★★★★★ 「この本のオススメ度」
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