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メルマガ『精神世界の叡智』第233号 2007/08/16発行
『「江戸しぐさ」完全理解』
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★ 今週の名著 ★
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■ 「江戸しぐさ」完全理解 ― 「思いやり」に、こんにちは
越川禮子著 林田明大著 三五館
「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは (単行本)
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雨の日に互いの傘を外側に傾げ
濡れないようにすれ違う「傘かしげ
腰をこぶし分浮かせて席を詰め
空席をつくる「こぶし腰浮かせ
人様の足を踏んでしまったら素直に謝り
踏まれたほうもこちらこそという「うかつあやまり」
これらは、人口100万人の大都市であった
江戸の町方のリーダーたちが、
互いに気持ちよく共生するために築き上げた、
人づき合いの心構えを形にした
「江戸しぐさ」の一例です。
徳川家康が江戸幕府を開府して百年も経たぬうちに、
日本各地から押し寄せた人々で
江戸は百万人の大都市になりました。
城下町の江戸を動かしたのは、
ものを生産する匠とそれを販売する商人たちでした。
この町方のリーダーたち(町衆)は、
江戸がいつまでも平和で、争いやいじめが起きないように、
共倒れせず、異文化の人々が仲良く共生するためには
どうすればいいのか知恵を絞りました。
そのためにはまず、
上に立つ者が古典を学び、人間研究を徹底して、
互いに思いやり助け合い、たった一度の人生を、
気持ちよく楽しく暮らすためにはどうしたらいいのかを考え、
ついに心構えをその具体的な行動に示していきました。
やがて、みんなが見よう見まねで
そのようなしぐさをするようになり、
せずにはいられない江戸っ子のくせ(江戸しぐさ)
となっていったのです。
江戸しぐさの根底には、
互助共生の精神がもとになっています。
この江戸しぐさにおける共生とは、
自立した人々が対等に誇りをもって生きていく、
つまり互角に向き合える、言い合える、つき合える
という精神を築き上げ、江戸の発展、平和の一因に
なっていったのです。
▼ 上に立つ者の哲学
江戸しぐさは元来、江戸の町方のリーダーであった商人たちが、
町が安泰で商売が繁盛するためにお客様と良い関係を築き、
それを保つにはどうすればよいかと、いろいろと知恵を絞り、
工夫を重ねて磨き上げた人づき合いのノウハウが
ベースになっています。
ビジネスの基本は「良い人間関係」「人づき合い」であり、
繁盛がそれによってもたらされる二次的利益に過ぎません。
江戸の商人たちはそのことを肝に銘じており、
全国から異文化圏の人々が集まっていた江戸の町で、
「良い人間関係」を築くための人間学とか心学に
心を砕いていました。
そうして磨き上げられたしぐさは、商人に限らず、
子供からお年寄りまで多くの人々の人づき合いの
基本となっていきました。
▼ 袖すり合うも他生の縁
江戸では、人間関係を第一に「大事なこと」としました。
だから人間を「ニンゲン」とはいわず「ジンカン」といって、
人と人の間を「澄んだ関係」に保つことが基本でした。
名も知らぬ多くの人々と触れ合う中で、
困った人がいれば手を貸してあげる、
混んでいれば詰めてあげる、
相手に雨の滴がかからないよう傘を傾げる。
狭い道ならぶつからないように蟹歩きをする。
少し前までは、それが当たり前でした。
ところが現代は、そうした不特定多数の人への心配りが
見られません。
江戸しぐさは、人として当たり前の行い、
普遍的なものばかりです。
▼ 江戸しぐさ復権の時代
公共広告機構(AC)が、2004年度から「こぶし腰浮かせ」
などの江戸しぐさを紹介するパネルやポスターを
地下鉄のホームや車内に掲げています。
狙いが功を奏して、
車内マナーの向上に一役買っているようです。
教育の現場にも江戸しぐさが導入されています。
東京都台東区の忍岡中学校では、
道徳の時間に「傘かしげ」「肩引き」を取り入れた寸劇を
先生たちが披露するなど、生活のルールづくりの一環として
江戸しぐさを学習してきました。
先生たちの劇は、生徒の喝采を浴びたそうです。
同校では「あいさつ運動」も実施しています。
企業の社員研修にも、江戸しぐさが取り入れられています。
日本を代表するあるテーマパークでは、
社内に「江戸しぐさ研究会」を設置して、
自主的に啓蒙活動をしておられます。
これまで数百人に従業員がセミナーを受講し、
「こんなすばらしいものが日本にあったなんて知らなかった」
「これさえきちんと身につけていれば、自分に自信がもてる」
などの声がたくさんありました。
江戸しぐさには所有権はありません。
日本人みんなのもの、
孫子の代まで伝えていかねばならない
民族の宝物です。
▼ 江戸寺子屋のシステム
町方の子供たちが学んだ寺子屋には、
「一般の寺子屋」と「江戸寺子屋」がありました。
一般の寺子屋では、「読み書きソロバン」を中心に教えました。
一方、江戸寺子屋は、商家の親たちが子弟のために
お金を出し合って、共同で師匠を雇った公塾のようなもので、
どんな身分の子弟でも入れるオープンなものでした。
江戸寺子屋で力を入れたのは、
「見る」「聞く」「話す」「考える」です。
言葉づかいにはことのほか厳しく、
「人は世辞がいえたら一人前」と言われました。
「こんにちは」や「初めておめにかかります」の後には必ず、
「その後、お体の具合はいかがですか」など
大人のことばを一言付け加えるのが
当然とされましたから、そのトレーニングをします。
町衆の子供たちは、6歳までに古典に親しみ、
9歳までには大人のことばでどんどん話しかけ、
母国語のボキャブラリーを増やしたそうです。
今でいうブレーンストーミングや、ロールプレーイングなどが、
すでに200年前の江戸の寺子屋ですいすいと
行われていたそうです。
▼ 江戸しぐさで子育て養育
江戸では教育ということばは使われず、
「養育」あるいは「鍛育」といいました。
明治になって「教育」と呼ばれるようになってから、
知識優先の「知育」になったわけで、
江戸では「養い育てる」でした。
「養育」には、命の成長を助け、
根をしっかり張って自立できる手助けをするという
意味があります。
今の学校と昔の寺子屋の大きな違いは、
受容と自発の違いです。
今の教育のように与えられた知識だけを詰め込むのではなく、
寺子屋では自分で考え判断してゆく自立・自律の養育が
主眼でした。
学ぶ内容は実学が中心です。
単なる実利主義とは違って、
広い視野に立って物事を眺めて、
判断できる能力の素地をつけるという学びです。
実学の実は自然観察の実、
今風に言うならば自然科学、自然現象全部の呼称で、
その幅は広く深く、日常茶飯事的な振る舞いから、
地震・火事・水害時の身の処し方にまで及びます。
広くものを見る(考える)ことで、
小さな生命体である自分が生かされていることを知ることは、
学問としての知識を理解する上で非常に大切なことですし、
成長とともに生き方を培う基になります。
▼ 「江戸しぐさ」実践編
【肩引き】
人とすれ違うときに右肩、右腕を後ろへ引いて、互いにぶつからない
ようにするしぐさ。混み合う江戸の下町では、互いを人間として尊重し
思いやる挨拶しぐさでした。
【七三歩き】
江戸では道路の七割は公道、自分が歩くのは道の端の三割と心得て、
急ぎの用事がある人や荷を運ぶ車に道を譲りました。おかげで急病人
や急用の飛脚は邪魔されずに走れたのです。
【束の間つき合い】
人はみな仏様の化身と考えていた江戸では、道で出会った人や渡し舟
に乗り合わせた見知らぬ人とも、軽くなごやかに挨拶を交わしました。
【傘かしげ】
雨や雪の日、互いに濡れないように、傘を人のいない外側にすっと傾げ
てすれ違うしぐさ。
【会釈のまなざし】
すれ違いに交わす思いやりの目つき。知った者同士が会釈するのは当
たり前、赤の他人でもすれ違うときいつくしみのまなざしを交わしました。
【こぶし腰浮かせ】
江戸では渡し場で舟が出るのを待っているとき、後から乗ってきた客の
ためにこぶし分だけ腰を浮かせて席を詰めるのが当たり前のしぐさでした。
【腕組みしぐさ】【足組みしぐさ】
江戸の商人にとって、腕組みや足組みは衰運のしるしと言われました。
いずれも相手に対しての敬意が感じられません。
【死んだらごめん】
江戸っ子にとって、約束を守るのは人間の条件、どんなに小さな口約束
でも破るのはご法度でした。どうしても守れないのは死んだときだけ。
だから「死んだらごめん」というのです。
【お心肥(おしんこやし)】
江戸しぐさの真髄ともいえる言葉。心を豊かにし、学問(「四書五経」)
を学び、人格を磨くことに努めるべきだという戒めです。それも書物から
学ぶだけでなく、手足を動かし自分で体験して考える実践が大切だと
教えています。
【共有の思想を忘れない】
共有する施設や場所は、一人ひとりが他人も使うことを意識して、
汚したり、破損させたり、他人に迷惑をかける行為をしないことです。
【世辞が言えて一人前】
「こんにちは」の後に、「今日はいいお天気ですね」などの挨拶言葉を
続けることを「世辞を言う」といいます。「世辞」とは、人間関係を円滑
にする社交辞令の第一歩、いわば大人の言葉。
江戸の町方は、9歳までに世辞が言えるようにしつけました。
【見越しのしぐさ】
先を読むこと。一人前の大人は常にアンテナを立て、ひと足先を考えて
行動するものでした。江戸商人は最低、先盆までの見通しを立てなけ
れば資格がないと言われました。
【この世に要らぬ人間なし】
会社でも地域社会でも、その人の個性にあった場所、役割があります。
異文化のるつぼであった江戸の町では、個々の得手不得手をよく見極
め、適材適所で人を活かす努力がなされていました。
【六感しぐさ】
江戸っ子は知識と同時に、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感を研ぎ
澄ますよう心がけていました。すべてを自分で考え、自分で行動するた
めには、五感をフル回転させて瞬間的に総合判断する能力(第六感)が
必要でした。
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■ 著者紹介 ■
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越川 禮子
江戸しぐさ語りべの会主宰。(株)インテリジェンス・サービス取締役
社主。1926年東京都生まれ。86年にアメリカの老人問題をルポした
『グレイパンサー』が、潮賞ノンフィクション部門優秀賞を受賞。
その後、江戸しぐさの伝承者故芝三光氏と出会い、江戸人の魅力の虜
となってしまった。『江戸の繁盛しぐさ』を上梓後は、唯一の江戸し
ぐさの語りべとして講演・執筆活動に精力的に努めている
林田 明大
陽明学研究家。1952年長崎県島原市生まれ。シュタイナーから禅まで、
東西の哲学・思想を修得。その後王陽明の思想に触れ、94年に『真説
「陽明学」入門』を上梓。「帝王学」というそれまでの誤解を解消し、
現代人のための実践哲学として復活させた。
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● この本の評価 ●
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■ 「江戸しぐさ」完全理解 ― 「思いやり」に、こんにちは
「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは (単行本)
■ 越川禮子著 林田明大著
■ 三五館
■ 1,365円
★★★☆☆ 「この本の難度」
★★★★★ 「この本のオススメ度」
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