http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/bush_nazi_link.html
ブッシュとナチスの結びつきが確認された
ジョン・ブキャナン記者、ニューハンプシャー・ガゼット独占記事
2003年10月10日
ワシントンDC発──全米マスコミが60年にもわたって見落とし、
拒否さえしていたことだが、
このたび暴露された国立公文書館と議会図書館の所蔵文書により、
現職大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュが1926〜42年にナチス軍拡・戦争体制の財政基盤のビジネスパートナーとしてだけでなく、
それを支えた米国の銀行経営者としても暗躍していたことが明らかになった。当時、
米国議会はプレスコット・ブッシュとその「敵国」の実業パートナーに厳しい対応をとっていた。
今回見つかった文書には、
ブッシュとその仕事仲間が──連邦財務省とFBIの調査によれば──ドイツの産業資本家フリッツ・ティッセンと資金提携していた事実を隠そうとしていたと、
はっきり記されている。
鉄鋼石炭王ティッセンは1920年代なかばから個人的にヒットラーに財政支援を行ない、
ヒットラーがドイツ国内法や民主制を転覆して権力を掌握するのを手伝った人物である。
さらにこの機密解除された公文書によれば、
プレスコット・ブッシュと彼の仲間であるロウランド・ハリマン
(当時の米国外交界のアイドルだったエイヴレル・ハリマンの弟)やジョージ・ハーバート・ウォーカー(現職ブッシュ大統領の母方の祖父)などが、
米国が開戦して以降も8カ月ちかくこのドイツ産業界の大実業家と取引を続けていたことが生々しく記されている。
●マスコミはなぜか完全に無視してきた
こうした歴史的事実はこれまで60年間にわたって米国のマスメディアではまったく報じられてこなかった。
この事実の概略は、
インターネットや地味な書籍で指摘されてきたが、
マスコミもブッシュ家も「根拠なき非難」であるとして無視してきたのである。
それどころかブッシュ家の人々を描いた「公式」伝記の著者たちも、
大統領の歴史を綴ってきた研究者たちも、
第二次大戦とその後の経緯を描いた米国史の出版社群も、
この事実から目をそらしてきたのだ。
ホワイトハウスに電話してコメントを求めたが、
返答はなかった。
●1942年の夏になっても……
ブッシュとハリマンとティッセンの米国における事業活動は、
ブロードウェイ39番地にあった一続きのオフィスで行なわれ、
プレスコット・ブッシュがそれを管理していた。
この共同事業は1942年7月30日に『ニューヨーク・ヘラルドトリビューン』紙で暴露され、
それがきっかけで詳細の解明作業が始まった。
この新聞暴露は、
米国がドイツと開戦して8カ月ちかくのちのことである。
「ヒットラーの守護天使は米国の銀行に300万ドルを保有している」──こんな見出しを掲げた『NYヘラルドトリビューン』の記事は、
記事の冒頭でフリッツ・ティッセンを「アドルフ・ヒットラーを10年来支え続けた最初からのパトロン」だと紹介していた。
事実、
この鉄鋼石炭王は1923年10月以来、
ヒットラーを強力に資金援助していた。
これはティッセン自身も『私はヒットラーのパトロンだった』という自伝で書いていることだ。同書でティッセンは、
ヒットラーやゲッベルスやルドルフ・ヘスとも個人的親交があったと告白している。
『NYヘラルドトリビューン』には匿名情報源の話として、
ティッセンの米国の「たくわえ」が実はゲッベルスやヘルマン・ゲーリングやハインリッヒ・ヒンムラー、
さらにはヒットラーなど、
「ナチスのお偉方」の所有物だという説も載せていた。
●純粋なるビジネス
ナチスの隠し財源とまで言われた「問題の銀行」とは、ニューヨークシティの「ユニオン銀行株式会社」(UBC)のことだ。
同銀行は1924年にW・エイヴレル・ハリマンが、
ティッセンとそのオランダの企業である「貿易航海銀行株式会社」の代理人として設立していた。
各種の政府文書によれば、
ユニオン銀行はティッセンが支配していた多くの企業や資産の手形交換所の役割を果たしていた。
そうした企業のなかには、
10社ほどの個人企業もあった。
ユニオン銀行は、
海外からの金や鉄鋼や石炭、あるいは米国の財務省証券や戦時国債を購入し、
その海運輸送を行なっていた。
ティッセンの下で「頭取」としてユニオン銀行の運営管理を行なっていたのは、
オランダ生まれで米国に帰化したコーネリス・リーヴェンスという人物である。
そしてロウランド・ハリマンが「会長」、
プレスコット・ブッシュが「社長」を名乗っていた。
『NYヘラルドトリビューン』の記事ではブッシュもハリマンもユニオン銀行の経営者だったことや、
ユニオン銀行の個人銀行としてブラウン・ブラザーズ・ハリマン社がビジネスパートナーだった事実を明示していない。
当時作成されたFBIの秘密メモは、
ブッシュ家やハリマン家の名前を出してはいないが、
欧州におけるヒットラーの略奪行為がこのまま続いて行くなら
政界の有力者たちが米国政府の公式の調査対象になるだろうと書かれている。
「ヒットラーの守護天使」を暴き立てた記事が発表されたのちも、
ティッセンとのいかがわしい金融同盟からブッシュとハリマンが手を引くきざしは全くなかった。
それどころか彼らは「ユニオン銀行が事実上、
米国におけるナチスの偽装機関になっている」と報じた同紙を攻撃していたほどだ。
ところが政府文書には、
こうした態度とは裏腹にブッシュとその商売仲間は、
逃げ口上を打って自分たちの事業の正体やら会社所有の事実関係を隠そうと懸命だったことが、
ありありと記されている。
こうした隠蔽工作は米国が参戦して顕著になったという。
さらに政府文書では、ティッセンじきじきに任命され、
ロッテルダムに本拠をおくティッセンの「貿易航海銀行株式会社」の
米国案件を管理する番頭役として20年間にわたってユニオン銀行の経営を行なってきたコーネリス・リーヴェンスが、
米国政府の捜査官に対してオランダの貿易航海銀行のこともその銀行にティッセンが関与していることも知らないと繰り返し否認を続けていたことも、
はっきりと記述してある。
ジョージ・ハーバート・ウォーカーもユニオン銀行創設以来の経営仲間だったが、
彼は1919年以来、
ハリマン家とつながりを持っていた。
1922年にウォーカーとW・エイヴレル・ハリマンはベルリンに行き、
自分たちの金融投資会社のドイツ支店を開設した。
この会社はもっぱら鉄鋼や石炭などの重要軍需物資によるカネ儲けを狙っていた。
ウォーカーとハリマンがドイツに設立した共同会社には、
ヒットラーの勃興を支えたもうひとりのドイツ人大立役者であるフリードリッヒ・フリックが共同経営者として参加していた。
そしてフリックは、
ティッセンと共にドイツ合同製鋼を経営していた。
合同製鋼はナチスを“戦争機械”に育て上げた巨大企業である。
フリックは自らが所有する鉄鋼・石炭・軍事資源と奴隷労働を使ってヒットラーの戦争を支えた。
この行為により、
戦後はニュルンベルク裁判で有罪判決を受け、
懲役7年の刑が言い渡されている。
●ファミリービジネス
プレスコット・ブッシュはウォーカーの娘であるドロシーと結婚し、
1926年にウォーカーはブッシュを民間金融投資会社W・A・ハリマン商会の副社長に据えた。
この会社もやはりニューヨークに本拠を置いていた。
ブッシュはのちに世界最大の民間投資銀行に成長したブラウン・ブラザーズ・ハリマン社の共同経営者になり、
最終的にはユニオン銀行の社長になって同銀行の株式を所有するわけである。
ただし政府文書によれば、
ブッシュもハリマンもリーヴェンスも他のユニオン銀行の株主たちも、
実際にはティッセンとそのオランダの銀行の身代わりに「名義人」すなわち“幽霊株主”をしていただけだという。
つまり彼らはドイツの上客の命令で動いていたわけだ。
●ユニオン銀行は差し押さえられた
1942年10月20日、
「対敵通商法」の定めにもとづき米国議会はユニオン銀行を差し押さえ、
戦後には資産を精算した。
この差し押さえは外国資産管理局の資産帰属命令・第248号によって承認され、
合衆国外国資産管理官レオ・T・クロウリーがこの命令書に署名していた。
その2カ月前、
議会はやはり「対敵通商法」にもとづき、
ブッシュとハリマンが共同経営していたティッセンの企業である「ハンブルク・アメリカン運輸会社」を差し押さえていた。
これはクローリー管理官の署名が記された資産帰属命令・第126号で承認されていた。
また、ユニオン銀行の差し押さえが実施された8日後にも議会は「対敵通商法」を根拠に、
ブッシュとハリマンとティッセンの共同経営企業2社──「オランダ・アメリカン交易株式会社」
(資産帰属命令・第261号)と「継目無し鋼材株式会社」(資産帰属命令・第259号)──を差し押さえている。
同年11月には議会は「シレジアン・アメリカン株式会社」のナチス資産を差し押さえたが、
同社はI・G・ファルベン社と共同で、
アウシュヴィッツ強制収容所での奴隷労働によって利益を得ていたという。
I・G・ファルベン社は産業界においてヒットラーの三番目に大きな後援者であり
第三帝国の経済産業基盤をナチスとともに作り上げた企業だ。
公文書資料館に保存されていた文書からも、
ヒットラーが戦争準備を進め第二次大戦の発端となるポーランド侵攻を行なった1939年当時に、
ブッシュとハリマンが金・石炭・鉄鋼・米国財務省証券・米国戦時国債などの価値ある米国資産を海運輸送で海外の顧客に送っていたという事実が、
はっきりと記されている。
●通り一遍の報道
ブッシュとハリマンとティッセンが共同経営していたユニオン銀行と他の4つの企業が差し押さえられてから、
ずいぶんと年月が経過した1944年の12月16日になって、
ようやく『ニューヨーク・タイムズ』が25頁というまったく目立たぬ場所に、
ほんのわずかな記事を載せた。
しかもそれはユニオン銀行が「事業本拠地をブロードウェイ120番地に移転する許可を受けた」という記事にすぎず、
同銀行がすでに米国政府に差し押さえられたことや、
新たな「本拠地」というのが外国資産管理局の所在地だという事実はひとことも報じられなかった。
ユニオン銀行以外の周辺企業も議会に差し押さえられていたのに、
そのことについても『ニューヨーク・タイムズ』はまったく触れていない。
●いまだにマスコミはなぜか沈黙を守っている
こうして『ニューヨーク・タイムズ』に短報が出たっきりで、
以来、
ブッシュ家の顔ぶれが選挙に出たことが幾度もあったのに米国のニュースではこの件は全く報じられなかったし、
ブッシュ家のことを描いた主な伝記類もこの件はまったく触れずにきた。
ただし『ジョージ・H・W・ブッシュ:非公式伝記』(ウェブスター・タープリー&アントン・チェイトキン著)は、
この件を詳しく伝えている。
チェイトキンの父親は1940年代に弁護士をしていて、
ブッシュ・ハリマン・ティッセンの共同会社の被害者たちの仕事を手がけていたのである。
この『非公式伝記』はブッシュ家がナチスと提携関係にあった事実を詳細かつ正確に解説している。
タープリーとチェイトキンは入念な資料調査でこれを書き上げたのだが、
米国の主流報道機関は同書の記述を報じることもなかったし、
調べようともしなかった。
大手書店はいずれも同書の販売を拒否した。
ブッシュの支持者たちがこの本を「偏った内容でウソが書いてある」と非難したからである。
タープリーとチェイトキンは有名新聞に書評をしてもらおうと奮闘したが、
リンドン・ラルーシュが率いる組織が発行元だったので、
すげなく拒否された。
……しかし、
版元がどこであれ、
事実は事実である。
ブッシュ家がナチスと提携していたことは、
何年もまえからさまざまなインターネットのサイトに掲載されてきた。
たとえば「BuzzFlash.com」や「TakeBackTheMedia.com」などである。
だがオンライン・メディアでこの事実を独自に確認したものは、
皆無のようである。
オンライン・メディアだけでなく、
主流派のマスコミだって第二次大戦以来、
ブッシュ家がナチスと提携していたという訴えを立証することも論破することも全く試みてこなかったことは歴然としている。
それどころか、
こうしたインターネット・サイトや「非公式」書籍を、
なんらジャーナリストらしい調査や真相究明作業を行なわぬままに放逐したり信用失墜しようと試みてきたのである。
●ブッシュをかばう忠臣メディアたち
『ナショナル・レヴュー』誌は今年の9月1日号にホワイトハウス担当記者バイロン・ヨークの雑感記事を載せた。
そのタイトルは「ブッシュ嫌いの年代記」。
出だしはこんな具合のおふざけ口調だ──
「ジョージ・W・ブッシュの……いやいやブッシュ家そのものの血にまみれた歴史をご存じか?
大統領のナチスびいきをご存じか?
彼の人類に対する罪業をご存じか?
ついでにといっちゃなんだが、
ジョージ・W・ブッシュが札付きの精神薄弱者だってことをご存じか?」
かくしてヨーク記者は「ブッシュは精薄者」だという話を“知能指数をからめたデッチ上げのウソ”だとこきおろす。
だが彼とてブッシュがナチスと手を結んでいた件については論破できなかったのである。
もっとリベラルな『ボストン・グロウブ』紙だって、
9月29日付けの紙面に載った『リーズン』誌記者キャシー・ヤング執筆のコラムが、
「インターネットにはブッシュ恐怖症患者」が蔓延しており、
そうした患者は「ブッシュ家がナチスと結びついていたという馬鹿げた主張を繰り返している」と書いていた。
●ポーランドのメディアがこの話題に取り組んだ
『ニューズウィーク・ポーランド版』は2003年3月5日号に「ブッシュとナチスの過去」についての短い記事を載せた。
ニュージーランドの『スクープ』(http://www.scoop.co.nz)が著作権許諾を得てこの記事の英訳を掲載したが、
それによればポーランドの『ニューズウィーク』は
「ブッシュ家はアウシュヴィッツ強制収容所で展開された囚人たちの強制労働から収獲を吸い上げていた」と書いていた。
この記事では、
ブッシュとハリマンとティッセンのさまざまな共同会社が米国政府に差し押さえられた事実についても報じている。
●米国メディアはいまだ“あっしには関わりのないことでごゼエやす……”
ブッシュとナチスの腐れ縁を記した政府文書が見つかった、
という情報は8月29日(金曜日)の朝にマスコミ界にもたらされた。
だが『ABCニューズ』
『NBCニューズ』
『ニューヨーク・タイムズ』
『ワシントン・ポスト』
『ワシントン・タイムズ』
『ロサンジェルス・タイムズ』
『マイアミ・ヘラルド』など、
米国の大手報道機関はいずれも調査取材を繰り返し拒否したのである。
『ニューズウィーク』のマイケル・イシコフ記者は
90年代のクリントン大統領とルインスキー嬢との不倫事件のときには数々の大型スクープを飛ばしてきたジャーナリストなのだが、
彼も国立公文書館の所蔵資料をもとにした独占記事を書かないかという提案を二度にわたって拒否したという。
●戦いすんで……
コーネリス・リーヴェンスとそのドイツ人仲間が番頭役をしていた数々の企業を差し押さえたのち、
米国政府はブッシュやハリマンらと戦後こっそり和解していた。
ブッシュとハリマンは企業資産差し押さえへの賠償金として、
それぞれ150万ドルを現金で受け取ったのである。
1952年にプレスコット・ブッシュは連邦上院議員に選出されたが、
この時、
彼がナチスに関与していたという“隠された過去”について報じたメディアはひとつもなかった。
その後、
ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュも、
ジェブ・ブッシュも、
そしてジョージ・W・ブッシュも様々な選挙に立ったわけだが、
そのたびごとに行なわれた選挙戦関連報道の記事を調べても、
ブッシュとナチスとの腐れ縁を米国のメディアが報じた記録はまったくないのだ。
もっとも、
2000年11月のフロリダ州の『サラソタ・ヘラルド・トリビューン』が全然関係のない記事でこの件にひとこと触れていたり、
2001年に『ボストン・グロウブ』がごく短い不正確な記事を載せたという例外はあったけれども……。
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John Buchanan is a journalist and investigative reporter with 33 years of experience in New York,
Los Angeles, Washington and Miami. His work has appeared in more than 50 newspapers,
magazines and books. He can be reached by e-mail at: jtwg@bellsouth.net.
(訳=佐藤雅彦 「阿修羅」HPより)
原文:Bush - Nazi Link Confirmed (The New Hampshire Gazette)
http://www.nhgazette.com/cgi-bin/NHGstore.cgi?user_action=detail&catalogno=NN_Bush_Nazi_Link
Original Government Documents (John Buchanan Document):
http://hnn.us/articles/1809.html
http://hnn.us/articles/1810.html
http://hnn.us/articles/1812.html
http://hnn.us/articles/1813.html
ブッシュとナチス
ニュージーランド『スクープ』
2003年6月9日号
下記の「ブッシュとナチス」は、
『ニューズウィーク・ポーランド版』に載ったプレスコット・ブッシュとナチスに関する記事の英語訳である。
ブッシュ家は、
アウシュヴィッツ強制収容所で展開された囚人たちの強制労働から収獲を吸い上げていた。
米国大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュは、第二次大戦当時、
ナチスと金融面でつながっていた。
ナチスのおかげで、
プレスコットは銀行家として富を築くことが出来たのだ。
プレスコット・ブッシュは
「ユナイテッド・バンキング株式会社」[訳注:正しくは「ユニオン」]の社長であり株主だった。
この銀行はナチスの産業資本家フリッツ・ティッセンからシレジアン合同製鉄株式会社を取得し、
そこでアウシュヴィッツ強制収容所の囚人を働かせていた。
1942年の夏に米国の新聞がブッシュとナチスのこうした腐れ縁を報じるところとなり、
米国政府がUBC銀行の会計監査に乗り出した。
10月20日には政府が同銀行に「敵との交易法」[原文のママ]にもとづく処分を出した。この法律は、
1941年12月の真珠湾攻撃から一週間後にフランクリン・ローズヴェルト大統領が制定したものである。
この銀行は「ナチスへの支援に結びつく活動を行なってはならない」という条件付きで営業維持が許された。
1943年になってプレスコット・ブッシュは同銀行から距離を置くようになったが、
全米戦争基金の総裁として戦争被害者からの金集めはその後も続けたのである。
(訳=佐藤雅彦 「阿修羅」HPより ※文中[ ]内の注釈は訳者による)
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