遥かなる太古、
広大な大西洋には一つの巨大な大陸が存在したという。
その名はアトランティス大陸。
しかし、
今から約12000年前、
突如襲った未曾有の天変地異により、
アトランティス文明は一昼夜で滅亡し、
大陸は暗く深い海の底へと沈んでしまったという。
誰もが一度は聞いた事のある話である。
かつて、
数多くの人々がこの伝説に挑み、
持ち前の想像力を駆使することで、アトランティスの正体を解明しようと奮闘した。
しかし、
アトランティス伝説を世に広めたのがギリシアの哲学者プラトンであることはあまり知られていない。
プラトンは前350年頃の偉大な哲学者であり、
歴史家でもある。
アトランティスに関する記述は、
『ティマイオス』と『クリティアス』という後期の二つの対話編で見つけることができる。
物語は詩人兼歴史家クリティアスの口から語り出される。
それによると、
前640年頃の有名な立法家でありギリシアの七賢人の一人ソロンが前590年頃エジプトのサイスに行った折、
エジプトの神官からアトランティスの伝説を聞いたという。
神官の話によると、
都市国家アテネが成立した前9600年頃、
アトランティスはすでに偉大な文明を築き上げていた。
当時、
アトランティスは破竹の勢いでヨーロッパとアジア全域に侵略していたが、
アテネがこれに待ったをかけた。
アトランティスはヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の前方にある巨大な島であり、
リビアとアジアをアジアを合わせたよりも大きかった。
リビアとティレニア(イタリア中部のエトルリア)を征服した偉大で絢爛たる帝国だったが、
敵対国家アテネとの戦いに敗れ、
ついに征服されたという。
しかし、
その時、巨大な洪水と地震がアテネとアトランティスの両方を襲い、
かつて栄華を謳歌したアトランティスは島ごと波の下に没した……
第二の対話編『クリティアス』で、
プラトンはこの失われた大陸の歴史と地理をさらに詳しく物語る。
そこにはさながら海に浮かぶエデンの園、
地上の楽園のような世界が描写されている。
それによると、
島の南端にはアクロポリス(環状都市)が位置しており、
その北には高い山々で囲まれた豊かな平野が広がっていた。
首都ポセイドニアは三つの環状濠と二つの環状島からなる直径2キロのアクロポリスで、
そこにはポセイドンとその愛人クレイトーを祭る壮麗な王宮や神殿がそびえていた。
神殿の表面はすべて銀で覆われ、
内部も金、
銀、
象牙、
そして炎のような輝きを放つ謎の金属オリハルコンで装飾されていた。
海の神ポセイドンは、
人間の処女クレイトーを運河に囲まれた丘の上に住まわせ、
これに十人の子供を産ませてアトランティス種族を創始した。
これによると、
アトランティスは十人の王がそれぞれ十の部族を治める連合国家だったことになる。
かれらは首都を丘の上に建て、
これを同心円状に陸路と水路で幾重にも取り巻いていた。
さらにこれを大規模なトンネル構造でつなぎ、
海に向かう運河に連絡することで、
内陸部から船で楽に海に出ることもできた。
都市部には熱泉と冷泉の両方を備えた豪華な娯楽施設や共有の大レストラン、
公園、
学校、
競技場、
各種のスポーツスタジアムが建ち並び、
道路は石組みにより完全に舗装されていた。
アトランティスは亜熱帯性気候であるため、
年中暖かく、
山岳部には鬱蒼と茂る森林があった。
また、
大規模な灌漑水路網が確立しており、
土壌も肥えていたため、
農作物や果樹が豊かに実った。
自然の恵みが豊かな楽園王国である一方、
王宮近くには戦士の住居や戦車競技場があり、
強大かつ膨大な軍事力を擁していた。
広大な長方形の平野を6万の区画で仕切り、
各小区画は戦時体制化においてさまざまな割り当てを課せられていた。
全地区で一万台の戦車が組み立てられるような部品の供出や、
重装兵・弓兵・投石兵など各二名ずつの徴兵が行われ、
馬二頭、
騎手二名の徴募もあった。
総数はすべて、
この人数を六万倍したものであり、
さらに十の国の総軍事力となると想像もつかないほど膨大で桁外れの軍備であっただろう。
この先、
『クリティアス』はゼウスは……罰を与えようとお考えになった……神々を残らずお集めになり、
神々が集まってこられると、
申された……という記述を最後に、
未完のまま中断している。
彼は『クリティアス』を完成させることも、
3部作を締めくくる第三の対話編『ヘルモクラテス』を書くこともなく終わった。
ティマイオスの内容から推測して、
大陸そのものの壊滅によるアトランティス人への審判が書かれるはずだったのだろう。
以上、
プラトンが残したアトランティスに関する記述の要約をざっと眺めてみた。
本題はここからである。
はたして、
アトランティス大陸は本当に実在したのだろうか?
多くの学者や注釈者は、
もちろんNOと答える。
アトランティス伝説はあくまでも神話で、
プラトンは政治的寓話としてこれを書いたのだという。
しかし、
『ティマイオス』は彼がもっとも力を入れた作品の一つである。
プラトンはどうしても後の世代に伝えたいと願った話ばかりを収集し、
一つの本として完成させたのだ。
そのど真ん中に、
一編だけお伽話を挿入するとはあまり考えられない。
◆ビミニの海底遺跡
トランティスを語る際、
避けて通ることができないのが超能力者“エドガー・ケイシー”が残した700件にも上るリーディングであろう。
ケーシーによると、アトランティス大陸は、
現在のサルガッソー海からアゾレス諸島にかけて展開していた。
ほぼ全ヨーロッパに匹敵する大きさである。
アトランティスは、
現代文明に匹敵する高度な文明を持っており、
なかでも特殊な石から生み出されるエネルギー・システムは、
一つの文明を滅ぼすほどのパワーがあったという。
アトランティスは歴史上3回の天変地異に遭い、
壊滅は2回にかけて発生した。
最初は大陸が多数の島に分裂し、
プラトンが述べているように紀元前一万二千年に起きた最後の崩壊によって海に没した。
最後に海底に没した場所はバハマ諸島の近くであり、
その名残が北大西洋のフロリダ沖にあるビミニ諸島だというのだ。
1940年6月のリーディングでは、
アトランティスの首都ポセイドニアが1968年か1969年にバハマ諸島の近くの海域で再浮上するはずだと予言し、
事実、
1968年にビミニ諸島上空を飛行したアメリカ人パイロットが海中の遺跡を発見した。
周辺ではさらに、
考古学者J・マンソン・ヴァレンティン博士によって、
後に『ビミニロード』と名付けられた、
海底舗道や幾何学模様が連なる遺跡などが発見されている。
マイアミの考古学者ジョン・ホール教授は自然作用だと一蹴したが、
海洋生物学者ジョン・ギホードは「石の列が地質的圧力で形成されたものであれば、
これより遥かに大きい規模で存在しているはずだ」と反論。
また、
デヴィッド・ジンク博士は「石の一部は明らかに人間が手を加えたものである。
1個だがまぐさ石と認められる石もあった」と述べている。
しかし、
アトランティスが「再浮上する」とのケーシーの予言は明らかに外れた。
彼の予言は確かに一部は言い当てるが完全に一致するということは少ないのである。
彼はスフィンクスの下には秘密の地下室があり、
1998年にそこからアトランティスに関する古代文書が発見され、
過去の叡智が開示されるはずだと予言。
事実、
地下探査レーダーによって、
大スフィンクスの足元に岩盤を掘りぬいてつくられた「部屋」らしきものの存在が確認された。
しかし、
地下室はいまだに発掘されていないし、
アトランティスの遺産が発見されたというニュースも聞かない。
遺跡の大部分は、
大型の方解石によって構成された自然の造形物であることが判明している。
この時点で、
ケイシーを全面的に信頼するわけにはいかないだろう。また、近年の科学的調査によって、
ビミニロードを含めた海底遺跡はマヤ文明の遺産である可能性が高まってきている。
場所的にも、
別個の大陸というよりもアメリカ大陸の一部であり、
狭い範囲の大陸棚が陥没したに過ぎないことが判明している。
◆アトランティスはサントリーニ島だった!
1960年代の終わり、
ギリシアの考古学者アンジェロス・ガラノプロス教授によって、
アトランティス=サントリーニ島説が初めて発表された。
彼によると、
アトランティスはミノス文明のことで、
紀元前1500年にエーゲ海南部キクラデス諸島のサントリーニ(ティーラ)島の噴火によって壊滅したと断定したのだ。
これは、
ギリシアの島々の大部分、
ギリシア東部及びクレタ島北部の沿岸地帯にも壊滅的打撃を与えた。
プラトンのいうようにアテネ都市も甚大な被害を被っただろう。
プラトンの記述にはアトランティスがアテネ都市と戦争をしたことになっているが、
そもそも古代ギリシャのアテネが12000年も前に存在したはずがない。
せいぜい紀元前1400年頃であり、
ミノス文明が栄華を極めていた時代とも一致する。
また、
“ヘラクレスの柱の前方に大きな島があった”という記述にしても、
アトランティスが大西洋にあったという決定的な証拠にはならない。
以前まではヘラクレスの柱はジブラルタル海峡を指すと考えられていたが、
実際はもう1箇所、
ヘラクレスの柱と呼ばれる区域が存在したことが判明したのだ。
それこそが古代ギリシアのミュケナイであり、
前方にはズバリ、
サントリーニ島が位置している。
それに、
プラトンは一言もアトランティスが“大陸”であるとは言っていないのだ。
前述のようにあくまでも「大きな島」であるとしている。
リビアとアジアを合わせたよりも大きいといっても、
それはあくまでも当時の世界観でのことであり、
現在の世界地図を広げて、
大陸に匹敵する巨大さであると主張することに意味はない。
しかし、
サントリーニ島の壊滅は、
アテネの立法家ソロンが生きていた時代のほんの900年前の出来事だ。
9000年前ではない。
全然違う。
ここでガラノプロスは、
筆記者が数字をすべて間違えて十倍したと考える。
彼によると、
古代ギリシアの筆記者は、
百を示すエジプトの記号「巻いたロープ」を、
千を示すエジプトの記号「ハスの花」と混同したのだという。
確かに、
プラトンが示す数字はいずれも異常に大きい。
平野部の周囲にめぐらした堀が一万スタジオン(約1840キロ)とあるが、
現代のロンドンを二十周もする大きさの堀など聞いたことがない。
また、
幅90メートル、
水深30メートルの運河も巨大過ぎる。
幅9メートル、
水深3メートルの運河の方がはるかに現実的だ。
そうすると、
都市の後背部の370キロ×540キロの平野部の記述も37キロ×54キロとなり、
島の規模は遥かに小さくなる。
実際、
サントリー二島を10倍すると、
ちょうど記述にあるアトランティス大陸の外周と一致する。
また、
エジプトの年代の数え方の中には、
年ではなく月を中心とする方法があり、
9000年なら9000ヶ月となる。
ギリシアのソロンはそれに気付かず、
そのまま9000年として記録してしまったとも考えられるのだ。
そうすると紀元前590+9000ヶ月(750年)で、
合わせて紀元前1340年となる。
やはり、
サントリーニ島におけるミノア文明の滅亡時期に非常に近い数値となるのだ。
実際、
当時海上交易で莫大な富を得ていたミノア人は栄華を極めており、
宮殿を飾るレリーフや壁画、
土器の絵柄には、
プラトンがアトランティスについて書いたのと似た雄牛狩りの光景が好んで描かれていた。
当初、
サントリーニ島はミノス文明の辺境の地と考えられていたため、楽園のようなアトランティスの描写とのギャップからも、
この説に懐疑的な人は多かった。
しかし、
1967年に、
サントリーニ島でクノッソスをしのぐ遺跡が発見され、
そこには、
アトランティスの首都ポセイドニアを思わせる環状水路、
直線水路を備えた都市プランが施されていたことが明らかとなった。
ミノス文明がアトランティスであったことは現在多くの学者が支持しており、
あらゆる点で信憑性が高い。
サントリーニ島の壊滅がアトランティス伝説の土台となったことに疑いの余地はない。
興味深いことに、
アトランティスが滅んだ約3500年前は、
世に知られたモーセの出エジプトの時期とマッチしている。
聖書の『出エジプト記』には、
当時隆盛を誇っていたエジプトが突如襲った天変地異により壊滅的な打撃を受けたことが記されており、
両者を襲った大災害は決して無縁なものではないと推測される。
このことの詳細は別項で紹介しようと思う。
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