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 子どもの頃、
 
 
 21世紀ははるか彼方にある憧れの「未来」だった。
 
 
 
 
 
 
 
 21世紀には、
 
 
 
 どんな素晴らしい時代が待ち受けているだろうかと想い、
 
 
 
 私もその時迄元気に生きていられますようにと神様にお願いした。
 
 
 
 
 
 
 
 そして今、
 
 
 
 その21世紀が「現実」となった。
 
 
 
 ところが、
 
 
 
 私たちが迎えたばかりの21世紀の「ここ」には、あの子どもの頃夢想した輝きはない。
 
 
 
 
 
 
 
 確かに生活はすこぶる便利になり、
 
 
 
 物は豊富になった。
 
 
 
 
 
 
 
 神秘でしかなかった宇宙も身近になり、
 
 
 
 宇宙への旅も夢ではない。
 
 
 
 
 
 
 
 インターネットの発達により世界中の欲しい情報も手に入れることができる。
 
 
 
 
 
 
 
 それなのに、
 
 
 
 私たちは何か大切なものが壊されている不安のまっただ中にいる。
 
 
 
 
 
 
 
 政治・経済・教育そして地球環境問題など、
 
 
 
 どの分野を見ても「こんな筈ではなかったのに…」と言いたくなる暗澹たる現実の中にいる。
 
 
 
 
 
 
 
 中でも一番悲しいことは、
 
 
 
 未来を担う子どもや少年たちを取りまく現実である。
 
 
 
 
 
 
 
 いじめ・不登校・学級崩壊・家庭内暴力・援助交際・凶悪犯罪の増加など、
 
 
 
 そしてまた、
 
 
 
 子どもを愛せない父親・母親による幼児虐待、
 
 
 
 わが子に対する保険金殺人など、
 
 
 
 もはや「精神の荒廃」としか言いようのない現実。
 
 
 
 
 
 
 
 目ざましい科学技術や経済発展の原動力となったのは人間の知恵であるが、
 
 
 
 その人間の内部で一番大切な何かが崩壊し始めている。
 
 
 
 
 
 
 
 「政治家が悪い」「経営者が悪い」「教師が悪い」と他人のせいにしたり、
 
 
 
 あるいはとにかく目の前の問題を解決するために法律や制度を変えようとしても、
 
 
 
 何ら解決にならない事態の中に私たちはいる。
 
 
 
 
 
 
 
 教育制度から教師・家庭・子どもの問題・環境汚染・経済・エネルギー問題・私たちのライフスタイルの問題など、
 
 
 
 問題は複雑に絡み合い、
 
 
 
 巨大化していてどこから手をつけてよいのか分からない程である。
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、
 
 
 
 よく考えてみればこの現実は、
 
 
 
 私たち20世紀を生きてきた人間の生命活動がもたらした所産である。
 
 
 
 
 
 
 
 20世紀に私たちが作ってしまったこの深い断層を越えるには、
 
 
 
 これまでとは全く次元を異にする「新しい原理・原則」を一人ひとりが自分の中に培い、
 
 
 
 断層を越える挑戦に挑むしかないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 「この問題を解決するために、
 
 
 
 自分は何を変え、
 
 
 
 何を育まねばならないだろうか、
 
 
 
 何を整備しなければならないのだろうか?」をまず深く自らに問い、
 
 
 
 やみくもに問題を解決しようとするのではなく、
 
 
 
 軸足を自分の内側に定め、
 
 
 
 変革の第一着手点を自分の側に置くことである。
 
 
 
 
 
 
 
 人は他人を変えることはできない。
 
 
 
 
 
 
 
 人は自分の心に対してしか主導権を持てないのだから、
 
 
 
 主導権のない外側を変えようとするのでなく、
 
 
 
 自らの内に対する変革をまず試みるしかないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 私たちの直面している事態に対して、
 
 
 
 個人がどのような触れ方をするかによって、
 
 
 
 全く違う現実が生まれてくる。
 
 
 
 
 
 
 
 私のささやかなこれ迄の人生でもいろいろな事があった。
 
 
 
 
 
 
 
 一介の主婦が三人の乳呑子を抱えて司法試験に挑戦したり、
 
 
 
 選挙にかつぎだされたり、
 
 
 
 知事選に出て落選したり…と幾度かの試練を体験した。
 
 
 
 
 
 
 
 その度に、
 
 
 
 私は「この現実(試練)は、
 
 
 
 私に何を教えようとしているのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 私は本当に何をしたいのか。」を自らに問い、
 
 
 
 その教えに潔く従おうと思ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 すると、
 
 
 
 いつのまにか、
 
 
 
 困難が困難でなくなっているという不思議な体験を幾度かした。
 
 
 
 
 
 
 
 困難(試練)に直面した時、
 
 
 
 相手(外)のせいにしたり、
 
 
 
 諦めたりするのではなく、
 
 
 
 自分の心の中にその原因を求め、
 
 
 
 まず自分を変え、
 
 
 
 環境を整えていくとき、
 
 
 
 少しづつ、
 
 
 
 事態の側が変わってくる。
 
 
 
 
 
 
 
 その変化のプロセスには、
 
 
 
 何か個人の意志を越えた大きな力が働いているとしか言いようのない気がするのである。
 
 
 
 
 
 
 
 別に私は信心深くもなく、
 
 
 
 特別に宗教心があるわけでもない。
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、
 
 
 
 この自然界を大きな力で働かせているものの存在、
 
 
 
 人間(自分)を越えたものの存在を思わざるをえないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 その存在の本質に近付くにはどうしたらいいのだろうか、
 
 
 
 と想いを巡らしてしまうのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 正月、
 
 
 
 生命科学に関するおもしろい対談を読んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 高血圧の原因となる酵素レニンの遺伝子解読に成功し、
 
 
 
 世界的注目を集めた村上和雄氏と、
 
 
 
 免疫学で有名な多田富雄氏の対談である。
 
 
 
 
 
 
 
 2000年6月、
 
 
 
 人間の全遺伝情報が書き込まれたヒトゲノムの解読がほとんど終了した。
 
 
 
 
 
 
 
 村上教授によると一つひとつの遺伝子の中には万巻の書物に相当する情報が書き込まれていて、
 
 
 
 DNAの指図によって私たちの体の中では現代の分子生物学では解明できない驚異的なことが行われている。
 
 
 
 
 
 
 
 それによって私たちは命の炎を燃やし続けているが、
 
 
 
 そのメカニズムはまだ何ら解明されていない。
 
 
 
 
 
 
 
 この解明されていない何かのことを、
 
 
 
 村上教授は「サムシング・グレート」と名付けている。
 
 
 
 
 
 
 
 DNAの配列は解ったものの、
 
 
 
 その働きのメカニズムは知られておらず、
 
 
 
 そこには何か人智を越えた偉大な力が働いているという意味で、
 
 
 
 Something greatと名づけたのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 人間の生命活動の根幹にあるこの「偉大なる何か」の正体を解明していくのが21世紀の生命科学の役割であると村上教授は語っておられた。
 
 
 
 
 
 
 
 多田教授によると、
 
 
 
 ヒトゲノムの中には、
 
 
 
 人間の体の全てをたった一個の受精卵から作り出すという三次元構造の情報の他に時間軸に関する情報も入っている。
 
 
 
 
 
 
 
 277日で赤ちゃんが生まれるとか、
 
 
 
 赤ちゃんが成長して言葉を覚えること、
 
 
 
 やがて思春期を迎えること、そして老化して死ぬことといった、全ての人間にとって変わらない時間的情報もゲノムの中にある。このように、
 
 
 
 ある時期にある遺伝子が発現して人間の形を作るところまでは非常にはっきりしたプログラムがゲノムの中に組み込まれているのに、
 
 
 
 その先の「どんな人間になり、
 
 
 
 どのように死んでいくか」ということはプログラムされているわけではない。
 
 
 
 
 
 
 
 人の一生のあり方を決めていくもの、
 
 
 
 そこにはとても不思議な一つのシステムがありそうなのだという。
 
 
 
 
 
 
 
 −生命体を作り出す時にたくさんの遺伝子が働いて多くの細胞が生み出され、
 
 
 
 それらは互いに情報交換し合い、
 
 
 
 次々に新しい段階のものを作り出し、
 
 
 
 さらに、
 
 
 
 自分で作り出したものがまた互いにつながり合って、
 
 
 
 自己組織化しながら最終的には全体としてうまくいくシステムを自ら作り出していくシステム。
 
 
 
 
 
 
 
 しかも自分の内部情報だけではなくて、
 
 
 
 外部のいろいろな環境条件による情報を受け取りながら、
 
 
 
 それを内部情報に転化して自分の生き方を決めていくシステム。
 
 
 
 
 
 
 
 多田教授は、
 
 
 
 この生物の持っている不思議なシステムを「超システム」と呼んでおられる。
 
 
 
 
 
 
 
 人間が、
 
 
 
 この「超システム」を動かしているルールに則って生きるなら、
 
 
 
 すばらしい自己多様化を行うことができ、
 
 
 
 素敵な自分の可能性を引き出せるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 何らかの外部の刺激により、
 
 
 
 それまで眠っていた遺伝子のスイッチがONになれば、
 
 
 
 人間は大きく変わる可能性もある。
 
 
 
 
 
 
 
 人間の可能性をONにしたり、
 
 
 
 OFFにしたりするスイッチのメカニズムを解明していけば、
 
 
 
 21世紀には個々の人間の持つ可能性がもっともっと花開くことになるだろう、
 
 
 
 と語っておられた。
 
 
 
 
 
 
 
 ゲノムは人類が自然からもらった最大の贈り物の一つであり、
 
 
 
 ゲノムの中にあるルールを学ぶことは、
 
 
 
 「人間の可能性を最大限花開かせるにはどうしたらいいか」という根本的な人の生き方を学ぶことであり、
 
 
 
 生命活動の源に溯ることである。
 
 
 
 
 
 
 
 「21世紀は、
 
 
 
 人間が人間として生きるための根源にある問題を再発見していかなければならない。」と、
 
 
 
 多田教授は語っておられた。
 
 
 
 
 
 
 
 とても興味深い対談だった。
 
 
 
 
 
 
 
 人間の生命活動を操つる力・その力の根源は科学においてもまったく謎につつまれたままであるが、
 
 
 
 しかし、
 
 
 
 何か不可思議なシステムの働きによって、
 
 
 
 本来的に人間は自分で自分を作り上げていくということなのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 「サムシング・グレート」といい、
 
 
 
 「超システム」といい、
 
 
 
 人間の意志を越えた存在でありながら、
 
 
 
 人間だけが持っている「精神」の働きと深い関係がありそうに思われてしかたがない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私たちが生きている「ここ」は、
 
 
 
 何百億光年という宇宙の広がりがあるから現われ、
 
 
 
 私たちが生きている「今」は、
 
 
 
 はるか百数十億年も前の宇宙の誕生から流れ出ている時の流れの中にある。
 
 
 
 
 
 
 
 あらゆる生命の誕生とその進化の歴史の流れや数多くの文明の盛衰の源を動かしている「大いなる力」。
 
 
 
 
 
 
 
 その力の本質(源)に溯ることになくして、
 
 
 
 この力の法則に逆らっては私たちは何をすることもできないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 20世紀において、
 
 
 
 私たちは、
 
 
 
 それまで神秘であり畏怖の対象であった自然を支配するためにあくなき挑戦をしてきた。
 
 
 
 
 
 
 
 そのために多くの果実を得たものの、
 
 
 
 影の所産として今の「現実」がある。
 
 
 
 
 
 
 
 そこには、
 
 
 
 人間の内側(精神)を軽視し、
 
 
 
 欲望のままに外界だけを変えていこうとする20世紀を貫いてきた基本原理があったと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、
 
 
 
 もはや、
 
 
 
 自然に対抗し支配する方向ではどうしようもなくなった。
 
 
 
 
 
 
 
 一人ひとりが自分の内なるものをこの偉大な力(「サムシング・グレート」)と響働させ、
 
 
 
 調和を志向するしか人間の生きる道はなくなっている。
 
 
 
 
 
 
 
 自分の利害や快苦を越え、
 
 
 
 全体のこと他人のことを大切にする知恵を持って、
 
 
 
 人間を越えた大いなる存在に照らし出された自分の内なるものを見つめ、
 
 
 
 内を変え、
 
 
 
 変わっていく自分と世界とを再結させていく決意、
 
 
 
 この一人ひとりの精神の営みが、
 
 
 
 今の日本の閉塞状況を打ち破る力になるに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 21世紀こそ、
 
 
 
 人間の精神の世紀(文明の世紀)にしたいと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 鳥は飛ばねばならぬ
 
 
 
 人は生きねばならぬ
 
 
 
 怒濤の海を
 
 
 
 飛びゆく鳥のように
 
 
 
 混沌の世を
 
 
 
 生きねばならぬ
 
 
 
 鳥は本能的に
 
 
 
 暗黒を突破すれば
 
 
 
 光明の島に着くことを知っている
 
 
 
 そのように人も
 
 
 
 一寸先は闇ではなく
 
 
 
 光であることを知らねばならぬ
 
 
 
 新しい年を迎えた日の朝
 
 
 
 わたしに与えられた命題
 
 
 
 鳥は飛ばねばならぬ
 
 
 
 人は生きねばならぬ
 
 
 
 (坂村真民詩集より)
 
 
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